■サーキットの外へ‥‥‥Road Going Carへの道

 VEMAC RD180開発の総責任者である小野昌朗が、変わることなく持ち続けてきた「クルマ作り」の基本理念。それは、VEMAC社の理念でもある“自動車に関わる趣味・悦びを維持出来る素材を提供する”ということだ。
Cadwell
Cadwell

 すなわち、クルマ自体は素材なのであり、大切なのはあくまでもそれを操る時間そのものなのだ、という発想である。
 とりわけスポーツカーは、移動手段としてのクルマよりも、素材としてのクルマが大切である。
 小野のもとに、ティンカーベルを待ち望む人々からの声が届きはじめる。サーキットや製造の現場で陣頭指揮を取る畑川の耳にも、いやでもそんな声が届いてきた。かくして、東京アールアンドデーの社長、CEOとしての小野昌朗に畑川治が提案することになった。
「オンロードバージョンを作ろう」
 オンロードバージョンを作るのは、もちろん単にナンバープレートを取り付ければすむというわけではない。公道上を走るための種々の条件、制約等を、一つ一つクリアしていかなければならないのである。
 したがって、実際にはCadwellをベースにはしても、まったく新しい視点からこのプロジェクトに取りくむことが必要なのだ。小野昌朗にも畑川治にも、それはよくわかっていた。だがふたりは、その困難だが夢のある作業に着手することを決意するのである。
 開発にあたっての基本理念は、出発点がレーシングカーCadwellのオンロードバージョンであったという事実からもあきらかなように、あくまでもクルマの原点に近いところで本当のドライビングが楽しめるクルマ創りに徹することにあった。
 クルマの原点、本当のドライビング。それは、今のサービス過剰とも思えるクルマに慣れ親しんだ人達にとっては、かなりハードなものになるにちがいない。ドライバーには繊細な神経とテクニックが要求されるだろう。それは、乗る人が選ばれた人達に限られてしまうことにもつながる。だが小野も畑川も、それもやむをえないとの共通認識からスタートすることにした。
 さらに、クルマを楽しむためには、環境にも配慮しなければならない。「まず、寿命を最大限にのばすことが最大の省資源につながると考えました。つまり、長寿命のクルマであることが大切なのです。また、小さくする、軽くする、空気と仲良くして車体に寄りそってもらう、ということですね。つまり、基本を大切にすることで省資源省エネルギーを計ろうと考えました。さらに、不快な音をまき散らさないですむよう心地よい音質を追求する・・・・これにはずいぶん主観がはいるでしょうけど。」
 小野昌朗は、そんなふうに語っている。
 これらの条件を満たたしたクルマを世に送り出すこと。それが、基本的なコンセプトであった。こうして、基本計画、パッケージ&コンポーネントレイアウト、スタイリングの各検討作業が、東京アールアンドデーが積みかさねてきた豊富な経験と自動車開発能力を活用しながら、小野の直接指揮の下、車両事業部の責任者でもある間宮篤がヘッドについてスタートした。間宮篤は1977から1979年にかけて、ドームスポーツカー設計に携わったこともある人物である。
 本当に望まれるスポーツカーの誕生へ向けて、遂にプロジェクトが歩みはじめたのである。
 具体的な商品化については、心臓となるエンジンの選択と調達方法、完成したクルマの販売方法、アフターサービス体制等、こえるべき高いハードルも多く、発売時期を含めて、詳細は決定をみるまでにはいたらず、いろいろな課題をペンディングの状態で抱えたままとりあえず開発がスタートしたのであった。


■ 間宮篤 略歴
1953年 東京都に生まれる 間宮篤
1977年 芝浦工業大学工学部を卒業
 −1977〜1979年:ドームスポーツカー設計
 −1982〜1983年:トムスグループCレーシングカー設計
1983年 株式会社東京アールアンドデーに入社、設計部長に就任する。
1990年 株式会社東京アールアンドデー取締役車両事業部長に就任、現在に至る。
 −1983年から多数の量産二/四輪自動車、
  レーシングカー等の設計開発にたずさわる。