■物語としてのスポーツカー(2)

 これまでにも(株)東京アールアンドデーは、FJ1600からグループCカーまで、300台近い数のレーシングカーを作り続け、レーシングカーコンストラクターとしての実績を積んできた。その一方では「FE95」や「Z.E.R.O.−1」といった、電気レーシングカーを登場させ、優勝を重ねるなど、新しいモータースポーツにも積極的取りくんできた。電気スクーターの少量生産を行った実績もある。
 だが、それにしても、市販のスポーツカーを生産するとなると、話は別である。

 まずCadwellは、畑川治達の「こんなクルマで楽しいレースをやろう」という思いから独自のレーシングカーとして開発がスタートした。
Z.E.R.O
Z.E.R.O.-1 1994

 考えてみれば、レースというものの構造そのものが、物語の枠組そのものである。予想することのできない物語。それが、レースというものなのではないだろうか。畑川達の企図とは、だから物語の主人公を作り上げるような作業だったのだ。
 実際にCadwellがサーキットを走りはじめると「ナンバー付かないのかい?」「これで峠道をはしりたいよ」という声があちらこちらから聞こえるようになった。「これで六本木を、表参道を流したい」という声も聞こえた。
 Cadwellは、もちろんサーキットの走りを楽しむために作られたクルマである。公道に出るわけにはいかない。
 子供の頃、『ピーターパン』を読んだぼくは、思ったものだった。ティンカーベルのような妖精がほんとうにいたらいいだろうな、と。彼女に金の粉を振りかけてもらって、空を飛べたら素敵だろうな、と。
 物語とは、そういう力を持っているものだ。
 公道上の走りを楽しむスポーツカーは、既にいろいろ存在する。さまざまなエンジンレイアウトとボディスタイルを持ったスポーツカーが出尽くしている、と言ってもいいぐらいだ。なのになぜ、クルマを愛する人々が集まる場所で、Cadwellにナンバーを求める声が出てきたのだろうか。
 それこそが、Cadwellが、精緻な物語の構造の上に成り立っていたという証拠なのではないか。ぼくはそう思っている。
 Cadwell誕生の過程では、ナンバー取得まで考慮されていなかった。スタッフは、ナンバー取得を望む多くの人々に、怪訝な表情を浮かべながらその理由を聞いてみた。出てきた答は、「こんな個性的な車だからこそサーキットというクローズドな場所だけでなく、好きなところで乗ってみたい」という、抽象的な希望であった。
 夢や希望を、具体的な言語で語ることはむずかしい。だが要するに、多くの人々は「ティンカーベルのような妖精がほんとうにいたらいいだろうな」と思っていたのではないだろうか。「彼女に金の粉を振りかけてもらって」と考えていたのではないだろうか。
 スタッフ達は、このティンカーベル待望論を、具体的に分析しはじめた。やがて、「Cadwellにナンバーを」と望む人達のおおよそのプロフィールがまとまってみえてきた。それを簡単に言ってしまうならば、現代のマスプロダクションで作られる車には人の息吹きが感じられない、あの輝かしい60年代の形を彷彿とさせるCadwellにはそれがある、という受け止め方をする人々である。
 そんな人間味が感じられるスポーツカーにいつでも乗れ、どこへも行ける自分のモノとして所有したい、という希望がシーンのあちこちに広がっていったのである。
 かつてクルマというものを発明した時に、人間はそいつを最初に何に使ったのだろうか。A地点からB地点への、移動のための手段にしたのだろうか。そうではない。そいつを使って、競争したのである。
 だからこそ、クルマは20世紀の夢であり続けることができたのである。なかでもスポーツカーとは夢の象徴、フェティッシュの対象、どのような画家の名作も及ぶことができない近代的な美学の結晶であり続けたのではないだろうか。そんな結晶の登場に20世紀初頭、画家のロートレックが、哲学者のヴィトゲンシュタインが、作家のエミール・ゾラが、オマージュを捧げたのである。
 Cadwellのナンバーを望む人々は、いわばロートレックやヴィトゲンシュタインの系譜に属する、美神にかしずくその末裔達なのである。

Z.E.R.O
IZA 1991
 少量生産ゆえの希少価値もふくめた魅力を持ったスポーツカー。そんなクルマを探している人々は、案外と多いものだ。だが、どうもピッタリとくるクルマがない。多くの人々は、そう感じている。
 いわゆるスーパーカーは、いかんせんコンセプトが古びてしまっている。ヨーロッパの量産スポーツカーメーカーのクルマが優れているのはわかるが、最近は"優しさ"と"豪華さ"の方向にシフトし、個性が薄れてきている。それにだれもかれもが乗っているではないか。60年代にはたとえMGといえども、そう簡単に街でお目にかかるわけにはいかなかった。
 乗用車メーカーのスポーツカーにいたっては、値段は手頃でも、限りなく普通のクルマに近くなってしまった。
 英国に多い少量生産車は、スタイリングテイストが概して極端でしっくりこない。
 そんなシーンに登場したのが、Cadwellだったのである。
 レースに出るだけではなくて、普段は手元において乗りまわしたい、手入れもしたい。懐しい場所、見知らぬ場所を訪ね、風をうけながらコーナーを攻め、テールを流しカウンターをあててみたい。ずっと眺めていたくなるような、これがスポーツカーだというかたち。
 「これにナンバーが付けば理想のスポーツカーになる」
 それが、多くの人々の声が集約された感想のようだった。
 スポーツカーがもっとも輝いていた、いや、音楽や絵画やファッションや、すなわち文化というものがいちばん輝いていた1960年代。そんなシックスティーズ・テイストを知る層こそが、どうやら"ナンバーが取得できるCadwell"を望む、中心的な人々のようであった。


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